【読書感想】涅槃の雪|西條奈加|歴史的背景がわかりやすくて読み易い

こんにちは、ginkoです。
表紙デザインとタイトルに惹かれて手に取った西條奈加さんの小説「涅槃の雪」。
読んでみたらタイトル通り、雪の舞うシーンが印象的で、厳しい環境のなかで生きる人々の姿が鮮明に描かれた群像劇でした。
今回は「涅槃の雪」の紹介とともに、読んだ感想を綴ります。
【あらすじ】
徳川第12代将軍・家慶の江戸時代、北町奉行所に仕える吟味方与力「高安門佑(たかやすもんすけ)」は、市井の取り締まりに奔走するなか、新任の北町奉行「遠山景元」の片腕として働くことに。
ある日、元遊女の「お卯乃」を引き取ることになりますが、口のきき方は悪く、家事もろくにできないお卯之との生活に高安は当初戸惑います。しかし、話相手をする内に次第に打ち解けられ、安らぎを覚えていくのでした。
そんな矢先、老中「水野忠邦」による天保の改革が発令され、贅沢や風儀を乱すものを徹底して排除されることに。あらゆる娯楽が禁止となり、ささやかな楽しみすら奪われた江戸の庶民は次第に追い詰められていきます。
厳しい取り締まりに反対する遠山景元の勢力と、改革を進める水野忠邦と目付「鳥居耀蔵(とりいようぞう)」勢力の対立。江戸がすさんでいくなか、高安は上司命令と庶民の苦しみ、そして己の正義の間で葛藤していきます。
厳しい時代の中で生きる人々の意地や気概、そして門佑とお卯乃の関係を丁寧に描いた西條奈加さんの作品です。
【ポイント】
天保の改革を舞台に、有名人物が多数登場
この小説の舞台は、老中首座の水野忠邦による天保の改革が行われていた江戸です。天保の改革では、奢侈禁止令を始めとした水野による政策が次々と打ち出され、江戸の町人らが次第に追い詰められていきます。
江戸の衰退につながるような水野の締め付けに対抗するのが、北町奉行の遠山景元です。遠山景元は、かつて遠山金四郎景元という名をもっており、「遠山の金さん」で知られる人物。
主人公の門佑は北町奉行所に勤めており、配属されたばかりの遠山から「自分の片腕になれ」と指名されたことから、両者の対立に巻き込まれていくことになります。
さらに、遠山や門佑に立ちはだかる存在として登場するのが、鳥居耀蔵です。天保の改革を題材に、歴史や時代劇が好きな人にはたまらない群像劇が楽しめるでしょう。
真面目で堅物な主人公、高安門佑
主人公の高安門佑は無愛想で、背が高い上に鷹のような鋭い顔をしているため、一見すると恐れられてしまうような風貌です。そのため、上司や同僚から「鷹門」というあだ名をつけられており、遠山から呼ばれる際には「奉行のお鷹狩り」とからかわれています。
内面は、よく言えば真面目ですが、堅物で人付き合いも苦手なため、奉行所では誰とも群れたりせず、いわゆる一匹狼です。自分を片腕に指名した遠山からも「朴念仁」といわれる始末ですが、決して人の心が無いような非情な人物ではありません。
また「誰とも群れることなく、自分の意思で動ける人物は強い」とも称されており、敵となる鳥居にも目をつけられることになります。門佑がどのように考え、次々と湧き出る難事をどう切り抜けていくかは見どころの一つです。
次第に惹かれ合う門佑とお卯乃
元遊女のお卯乃は、ひょんなことから、門佑の家で暮らすことになります。当初は戸惑いを隠せない門佑でしたが、お卯乃と会話を重ねていくうちに打ち解けていき、門佑にとってかけがえのない存在となっていくのです。
天保の改革に振り回されていく中、孤独ではないものの、常に一人で動く門佑にとって、お卯乃とのやり取りは、癒しのようなもの。一方のお卯乃も、元遊女である自分に対して親身になって接してくれる門佑に、次第に惹かれていきます。
奉行所与力と元遊女、身分の違いが立ちはだかる中で、二人が迎える結末にも注目です。
【読書感想】
門佑とお卯乃の関係に心が洗われた
無愛想で堅物の門佑と、家事がろくにできずに言葉も悪いお卯乃が惹かれ合うのは、二人とも「真っすぐな心」を持っていたからだろうと思いました。
門佑は基本、人と群れたりせず、自分で物事を考えて一人で行動しているため、周りに誤解されることが多々あります。しかし、余計なことを言ったり、言い訳をすることもなく、時には敵方である鳥居の言うことにも納得するなど「邪心」というものが見えません。
一方のお卯乃も、はじめこそ言葉遣いが粗かったものの、本当は優しい心の持ち主であることがすぐにわかります。亡くなってしまった弟への気持ちを吐露したり、門佑の優しさに応えようとする様に、心が洗われました。
そんな二人だからこそ、互いに思いやることができ、惹かれ合っていったのだなと感じましたが、この頃は今と違って、身分の違いがかなりの障壁となる時代。お卯乃の取った決断は、ある種の懸けだったと思いますが、二人が迎えた結末に心底安堵しました。
天保の改革について理解を深められた
「天保の改革は水野忠邦が行った」
私は天保の改革について、恥ずかしながらこの程度のことしか知りませんでした。時代小説に興味を持ったのは大人になってからで、若かれし頃の知識なんて、学校のテストのために必死に覚えた程度です。具体的にどのような政策が行われていたかも知らなかったため、この作品を通して改めて勉強にもなりました。
物語自体、政策ごとに話が進められており、改革によって次第に江戸の町が活気を失っていく様や、人々の葛藤、諦めなどがわかりやすかったです。贅沢をことごとく禁止することで、ここまで人から生きる活力が奪っていくのだなと感じました。
この時代でいう贅沢は、娯楽に通ずるものが大半ですが、現代でも、贅沢は「たまにはいい」とか「頑張ったご褒美に許される」みたいな印象がありがちです。贅沢と感じるものや向き合い方は、人によって違いますが、贅沢の存在意義みたいなことも改めて考えさせられました。
雪の降るシーンが印象的
タイトルが「涅槃の雪」であるように、物語には雪の降るシーンが度々出てきます。
お卯乃には天保の飢饉中に亡くなった弟がいて、死ぬ前に雪ばかり食べていました。そのため、弟は「涅槃に着いたら自分も雪になってしまうかもしれないけど、そうなったらいい」と願っており、お卯乃もその願いが叶うと信じて、雪が降るのを心待ちにしていたのです。
また、作中では涅槃を「煩悩を離れた静かな境地」としており「景色だけでなく、音さえも吸い込んで、静寂に満ちた世界を作り出す、雪こそが涅槃にもっともよく似たこの世のものではないか」という内容のセリフもありました。
そのため「涅槃の雪」とは、涅槃から会いに来た弟や、この世を涅槃のように静かで安寧な境地に作り出す雪のことを指しているのかなと。そう考えると、最後のシーンは、弟がお卯乃に会いにきたと同時に、涅槃からの新たな始まりも連想できて、前向きで綺麗な終わり方だなと感じました。
「涅槃の雪」は時代物に馴染みのない人でも読みやすい
涅槃の雪は、天保の改革を背景にした小説ですが、とてもわかりやすく、血生臭いさも無いため、時代物に馴染みのない人でも読みやすいでしょう。政に関わる人だけでなく、江戸で暮らす人も含めて人物描写が丁寧なため、感情移入もしやすかったです。
個人的には、人づきあいが苦手で基本一人ぼっちの高安門佑が、葛藤しながらも己の正義を真っすぐ突き進む姿に、感銘を受けました。また、敵方である鳥居耀蔵も門佑と似てる部分があり、ただの悪者ではない感じが良かったです。
現代にも通ずる「厳しい環境の中でも、人が生きていく上で大切にしたいこと」を、考えさせられる作品でした。
「涅槃の雪」のように、真っすぐな人物が主人公の作品が読みたいなら「蝉しぐれ」もおすすめ。こちらでも、政によって不遇な境遇に陥った主人公が、ひたむきに生き抜いていく姿が描かれており、長編ですが、展開がわかりやすくて読みやすいです。